作家から辿るチェコ絵本の歩み

作家から辿るチェコ絵本の歩み 19 世紀から20 世紀初頭にかけてヨーロッパ諸国では、象徴主義(主観ではなく内面世界を象徴によって表現する思潮)と分離派(保守的で閉鎖的な芸術活動のなかで革新的な芸術家たちが自由に発表活動できるように展覧会組織を持とうとした芸術家集団)の勢力を振るった時代に、チェコも同様に影響を受けたため、この頃から児童用出版物に描かれるイラストは芸術的価値のレベルまで高められていた。

さて、今日のチェコ絵本のスタイルに最も影響を与え、20 世紀前半の分離派の教育を受けた作家といえば、ヨゼフ・ラダがいる。代表的な作品は「善良な兵士シュヴェイク」や「黒猫ミケシュ」、「きつねものがたり」などで、太い輪郭線で絵画的に表現されたイラストとユーモアに溢れたストーリーが人気である。

1918 年にチェコスロヴァキア共和国が誕生してからチェコの芸術は発展する。ソ連のモダニズムから派生したアヴァンギャルド芸術は、ヨーロッパ各地に広がり、チェコのプラハで前衛運動「チェコ・アヴァンギャルド」として確立された。絵本の世界においてもタイポグラフィーによる前衛作品やコラージュを使ったグラフィカルな作品を描き、チェコ・アヴァンギャルドの影響を受けた作家、オタ・ヤネチェクやカレル・チャペックなどがいる。

クヴィエタ・パツォウスカー

この時代にプラハ美術工芸学校は肝要な地位を得たことにより(イジー・トゥルンカやクヴィエタ・パツォウスカー、そしてズデネック・ミレルやスロヴァキア出身のミルコ・ハナークなど輩出した名門校である)、絵本に描かれるイラストはチェコにとって独立した芸術となり、イラストレーターは芸術家として幅広く活躍することになる。中でも当時活躍したチェコの民話などを民族的なスタイルで描いたアドルフ・ザーブランスキーやカレル・スヴォリンスキーなどがいた。

イジー・トゥルンカ 1939 年にはヨゼフ・ラダに続きイジー・トゥルンカが活躍し始める。挿絵画家として高評価を得て成功した最初の作品が、J.メンツェル著「故郷の森のミーシャ・クリチカ」である。その後、挿絵画家として人気を博し注目を集めた作品が、1940 年にトゥルンカの妻ヘレナ著で娘のズザナを主人公にした「幼いズザナは世界を発見する」である。そして1941 年にヤン・カラフィアート著「ほたるっこ」や1943 年にフランチシェク・フルビーン著「こえにだしてよみましょう」などの名作を生み出す。50 年代に入ってイジー・トゥルンカはイラストとアニメーション映画の中心人物となり、1955 年にJ.サイフェル著の「マミンカ」や1956 年にオリジナルの「赤ずきん」や「お菓子の家」、そして1962 年に「ふしぎな庭」など数多くの傑作を発表した。トゥルンカは「イラストを描くときは子供向きであるとか大人向きの作品であるとかは意識していない。芸術は区別なく理解されるものである。」と言っている。1957 年に挿絵を描いた代表的な名作「アンデルセン童話」があるが、トゥルンカは残酷な出来事や悲しみを隠さないアンデルセンを非常に愛していた。その影響によりデカルコマニーなど用いて表現した詩的で幻想的な中に影のある作品が数多くある。

1950 年代後半では、アニメーション映画が原点で活躍し、「もぐらのクルテク」シリーズで人気を博した作家、ズデネック・ミレルが頭角を表す。

1968 年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動「プラハの春」以降は固定概念にとらわれない手法、例えば、アヴァンギャルドの影響を受けたコラージュなど様々な表現方法を用いて個性的な作品を発表したウラジミール・フカやカレル・フランタ、ヤン・クドゥラーチェクやクヴィエタ・パツォウスカー、そしてヨゼフ・パレチェクなどがいる。その頃、チェコスロヴァキアのテレビは、アニメーション番組「ヴェチェルニーチェク」(「もぐらのクルテク」も放映される)が誕生し、イジー・シャラモウンの「おおいぬフィーク」はアニメーションで人気が出た後、絵本が出版された。洗練されたイラストで表現された「マッフとシェベストヴァー」を描いたアドルフ・ボルンもシリーズ化され人気を博した。

1989 年にチェコスロヴァキア社会主義共和国で勃発した民主化革命であるビロード革命以降、国営の児童書出版社は売却され、国営アニメーションスタジオ(トリック・ブラザーズ・スタジオ)も活動停止された時代に国外に活動を広げ世界各国で翻訳出版される作品を描いたクヴィエタ・パツォウスカーやピーター・シスなどが登場する。

現代もチェコ絵本の世界は、チェコ・アヴァンギャルドの影響などの伝統を受け継ぎ、様々な技 法を用いながら進化し続けている。