ロシア絵本の歩み

19 世紀末にサンクト・ペテルブルグでロシアの美術雑誌として創刊された「芸術世界」。その美術雑誌に参加し、芸術家の個性などアールヌーヴォーの原理を擁護することを目的に芸術活動を行なった芸術家たちを総称して芸術世界派というが、彼らの創作した絵本は、こだわりの紙質や高度な印刷技術と、原画に近い鮮明な色彩を実現することで芸術品に近い作品を創作していた。

ロシア絵本の歩み1

このロシア帝政時代末期に芸術世界派に属した挿絵画家といえば、イワン・ビリービンやゲオルギー・ナルブトなどである。イワン・ビリービンが1907 年に発表した豪華絵本「サルタン皇帝の物語」では高等な印刷技術を使って描かれる絢爛たる装飾文様や迫力ある色調や構成で制作された絵本は一つの美術品としてロシア絵本を世界に印象づけた。また浮世絵の影響を受けていたことにより躍動感あふれる画面展開が際立っていたため、1909 年にはバレエ・リュスの舞台美術も担当するなど多岐にわたって活躍した作家であった。

1910 年代にはロシア・アヴァンギャルドの潮流といわれるロシア未来派が誕生する。未来派は、芸術世界派の様式主義のような贅沢な作りをした絵本とは違い、簡素な資材を用いてリーフレットなど、ほぼ手作りで創作された作品であった。1917 年の十月革命(ロシア革命)による社会の大変動の時代にもかかわらず絵本制作は続けられた。

ロシア絵本の歩み2

革命後は、1919 年から1921 年にかけてロシア通信社の風刺的な政治ポスターである「ロスタの窓」にウラジーミル・マヤコフスキーやウラジーミル・レーベジェフなどロシア未来派の作家が制作に従事した。その頃、レーニンの主張に基づくボリシェヴィキ独裁の新政権にロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる左翼芸術グループの前衛芸術運動が登場し、その新政権の新経済政策(ネップ)が導入され、左翼芸術家たちが活躍し始め、ラドゥガ(虹)出版社など数多くの出版社が設立された。発表されたロシア絵本はホッチキスで留めただけの小冊子で紙も安価なものだったが、ロシア・アヴァンギャルド芸術の革新的で新鮮な表現は、当時の絵本先進国である西欧に強い印象を与えた。

そして、十月革命後のロシアではピオネール活動など児童教育が重要視され、1920~30年代のロシア絵本の黄金期が始まる。生活にかかせない電化製品から車や飛行機など、写実的に描いた科学絵本や、切り貼りやぬり絵など、平面の紙から動くおもちゃの模型へと立体に変化する工作絵本や、エヴゲーニー・チャルーシンが描く動物絵本では、自然の生態を研究し、動物たちを擬人化することなく、正確に自然を表現するなど、多彩なジャンルの絵本が登場した。芸術世界派の高価な作品ではなかなか手にとって眺められなかった絵本とは違い、子供達が気軽に絵本に触れることで身近に芸術を楽しめるものとなった。その結果、ロシア絵本はイラストと文の絶妙なバランスによって読者に正確に伝えて楽しませる、魅力溢れた総合芸術作品とされた。

1927 年からはスターリンを中心とする共産党指導部が文化政策転換の流れとして、児童書の出版において検閲機関の許可を得なければならなくなった。また、芸術それぞれの分野で新しい表現の形式について探求が行われていた形式主義があったが、スターリンが絶対的権力を制御した後、ソ連に革命的発展をする芸術様式として1934 年に社会主義リアリズムが階級闘争の機関として位置づけられ、社会主義リアリズムのみが公認される芸術とされ、形式主義の画家への迫害が強まった。そして、1936 年にソ連共産党中央機関紙「プラウダ」にウラジーミル・レーベジェフやウラジーミル・コナシェーヴィチの作品などレニングラード派の絵本が激しく批判され、ロシア絵本黄金期の幕切れのきっかけとなった。

その後のロシア絵本においては、マイ・ミトゥーリチやボリス・カラウシン、トラウゴート兄弟、レフ・トクマコフやエリク・ブラートフ、そしてエヴゲーニー・チャルーシンの息子であるニキータ・チャルーシンなど人気作家が登場し、次々と名作を発表し続けた。彼らの子供時代だった1940〜50 年代の絵本は、社会主義リアリズム偏重により、思想統制され狭義の写実主義を強いられる厳しい状況のなか出版されたが、そんな時代の絵本から多大な影響を受けた作品が現在の作家にも繋がっている。