チェコの絵本作家、ズデネック・ミレルについて

チェコの絵本作家、ズデネック・ミレルについて

1921年プラハ近郊のクラドノ生まれ、チェコの絵本作家であり、アニメーション作家、もぐらのクルテクの生みの親であるズデネック・ミレル
1936年から1938年までプラハ国立グラフィック学校で写真を学んだのち、プラハ工芸美術大学でグラフィックや絵画を学ぶ。戦時中の1941年にズリーンのスタジオでセル画アニメーションのアニメーターとして活躍していたが、1945年にイジー・トルンカが中心となり、トリックブラザーズスタジオと改名しチェコアニメーションスタジオに参加したズデネック・ミレルは、50年以上に渡り脚本、監督、美術などを務め、アニメーションを95作品発表した。1948年には監督デビュー作である「おひさまを盗んだ億万長者」でヴェネツィア映画祭で特別賞を受賞した上、国民栄誉賞をも受賞する。ちなみにアニメーションスタジオのトリックブラザーズのロゴの作者でもある。

アニメーション作家までの道のり

戦後、世界的な人形アニメーション作家であるイジー・トルンカの初期作品にアニメーターとして携わっていたズデネック・ミレルは、1948年に「おひさまを盗んだ億万長者」を制作し、ヴィネツィア映画祭で特別賞を受賞。この作品を機にアニメーション作家として活動することを決意する。

その後、もぐらのクルテクが誕生するのだが、それは1954年のある日、ミレルが暗い森を散歩していると突然もぐらの穴につまずくという偶然のハプニングが起きたことで、もぐらをキャラクターにすることをひらめいたとのこと。

1956年にもぐらのクルテクを主人公にした作品をアニメーション、美術、監督そして、脚本と全てミレルが一人で担当し制作した、最初の作品が「もぐらくんとズボン」だった。この「もぐらくんとズボン」でヴェネツィア映画祭、モンテヴィデオ映画祭など数々の映画祭で受賞。その後、第二作目「もぐらくんとじどうしゃ」を制作し、以降もぐら(クルテク)人気が広がり、60本以上にのぼるシリーズ作品となった。シリーズ化のきっかけはチェコ以外のドイツで特に人気があったことで、シリーズ化を希望する意見が多かったとのこと、また、フランス、ポーランド、ハンガリーでも人気でテレビ放映などもされた。

もぐら(クルテク)くんシリーズの他、知りたがりワンちゃんシリーズ、コオロギくんシリーズなど人気シリーズを次々と制作し、ミレル以外の原作を含め2002年の最後のアニメーション作品「もぐらくんとかえる」まで95本もの作品を監督した。

その傍らで絵本作家としても

その傍らで絵本作家としても

アニメーション作家として活躍していたズデネック・ミレルは、同時に絵本作家としても活動していた。最初に挿絵を手がけたのが、1946年に発表した「三銃士」だった。それ以降、フランチシェク・フルビーン著「ひよことこむぎばたけ」やウラヂスラフ・ヴァンチュラ著「クマのクブラとクバ・クビクラ」、ヨゼフ・コジーシェック著「ありさんあいたたた…」の挿絵を描き人気作品を次々と制作。

もぐらくんシリーズの絵本第1作目「もぐらくんとズボン」は1960年に発表されると、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、北欧など海外でも翻訳版が出版され、アニメーション作家としてだけでなく絵本でも世界的に人気を博す。日本で「もぐらくんとズボン」が最初に出版されたのは1967年。

その他の人気シリーズ

その他の人気シリーズ

もぐらくんシリーズの他、人気のあるシリーズ作品として「しりたがりやのこいぬシリーズ」と「コオロギくんシリーズ」がある。

「しりたがりやのこいぬ」は「しりたがりやのこいぬとおひさま」「しりたがりやのこいぬとたまご」「しりたがりやのこいぬとみつばち」の3部作のみで、右も左も分からない好奇心旺盛な子犬が自分で自然の仕組みを学ぶお話が描かれている。アニメーションは1960年に制作、絵本は1970年に発表された。

「コオロギくんシリーズ」では、音楽が大好きで肌身離さず持ち歩いているバイオリンを弾くコオロギくん。もぐらくんを意識した新シリーズとして制作されたお話で、もぐらくんシリーズではコオロギくんがバイオリンを弾いて楽しい音楽を奏でて登場する。
1978年から79年で7部作がある。しりたがりやのこいぬと同様、セリフはなく、バイオリンの奏でる音とコオロギくんの表情や動きでお話を見て楽しめるように表現し、3シリーズとも共通して優しさ溢れる作品で人気を博した。